どう在るか
●どう在るか
人生の終わりにあなたは、自分がしたことには何の意味もなく、
ただ、それをしたとき自分がどんな人間だったか、それだけが
大事だったと知るだろう。
あなたは幸せだったか? 親切だったか? 丁寧だったか?
人を気遣い、やさしく、思いやりがあったか? 寛大で気前がよかったか?
そして、なによりも-愛していたか?
●人生は無意味である
じつは、どんなものにも意味はない。あなたが与える意味以外には。
人生には、意味がない。
人生が無意味だから、あなたがどんな意味でも決定することができる。
その決定によって、あなたがたは人生のさまざまなもの、あらゆる
ものとの関係で自分を定義する。
じつはこれが、どんな存在であるかを自分で選ぶという経験の意味だ。
●行為と存在のパラダイム
しなければならないと言われたから「する」のではなくて、自分が選んだから、
それが真の自分の表現だから「する」。
実は、何かをする真の理由はこれしかない。だが、これによって「行為と存在」の
パラダイムが逆転する。
今までのパラダイムでは、人は何かをすることで、何者かになる。
だが、新しいパラダイムでは、人は何者かであり、だから何かをする。
幸せだから、幸せな人間がすることをする。
責任感があるから、責任感がある人間がすることをする。
親切だから、親切な人間がすることをする。
そう、責任感のある人間になるために、責任を果たすのではない。
親切になるために、親切なことをするのではない。
そんなことをしたら、恨みが生じるだけだ(「あれだけのことをしてやったのに!」)。
人間のパラダイムが逆転したのは、すべての行為には見返りが与えられると
思っているためだ。
●条件があるという幻想
自分がおかれた条件、おかれたと思った条件を考えてごらん。
あなたはその条件から抜け出し、克服したのではなかったか?
じつは克服したのではない。もともと、あなたはその条件にいなかった。
その条件の自分が自分だという考えを捨てただけだ。
自分とは、その条件より大きいものだと、その条件は自分ではないと
見抜いたのだ。
「わたしは、自分がおかれた条件とは違う」とあなたは言ったかもしれない。
「障害がわたしではない。職業がわたしではない。財産が、あるいは貧乏が
わたしではない。これはわたしではない」
●幸せは意志である
幸せは経験ではなく、意志である。
幸せに必要だと思うものがなくても、幸せになれると決めればいい。
そうすれば幸せになれる。
●裏切り
人を裏切らないために自分を裏切るとしたら、それも裏切りであることを
いつも覚えていなさい。それは最高の裏切りだから。